【お祝いコメント】バロン(上の助空五郎)さまよりお祝いコメントを頂きました!

アナログフィッシュ20周年と聞くと、
僕の記憶はすぐに1994年ぐらいまでタイムスリップしてしまいます。

最初の出会いは下岡晃でした。
15歳でオーストラリアの田舎の高校に留学して、英語しか通じないのを覚悟で入った寮に彼がいました。
同じ部屋のインドネシア人学生がニルバーナ、パールジャムとかを聴いてる横で
晃がユニコーンや奥田民生、真心ブラザーズ、あとホブルディーズも聴かせてくれました。

高校時代から書き出すと、「お祝い」までなかなかたどり着けないので、すっ飛ばしまして2001年。
オーストラリアから日本へ帰ってきて、上京し世田谷区池尻の古い一軒家の部屋に住んでいた時、
晃と健太郎がまさにローリングストーンのように隣の部屋に転がり引っ越してきました。

その家には当時、舞踏ダンサーの十亀さんが2階に住んでいて、
満月の夜になるとダンサー達が集まり屋根の上で踊りだすのを見て、
東京って面白いなーと思いました。

長野県の喬木村からバンドをやるために出てきた2人との生活が始まりました。
僕はその時は音楽サーカス団ロマロマというユニットで、パフォーマーとして活動していて、
太鼓にもドハマリしていた時期で、ドラムが不在だったアナログに自然と入ることになりました。
最初のライブは下北沢ガレージか、新宿JAMだったと思います。
健太郎の歌を初めて聴いた時の衝撃もすごかったです。
何でも斜に構えるタイプの人間は彼みたいな真っ直ぐ歌う人にめっぽう弱く、
とにかく群を抜いていたその歌に圧倒されました。
毎晩下北の街の路上で歌う健太郎と、部屋でずっとギター弾いて絵を描いてた晃。
対照的な2人だったなと思います。

ラジオ、手紙、世界は幻、夕暮れとか2人の初期の曲のドラムを叩きました。
喬木村でも一度ライブしたっけ。
最初は全然ロックなドラムが叩けなかったけど、癖のあるリズム感で何とか食らいついていました。
色々な人に出会いました。
色々なバンドがいて、あの古い一軒家には次々と素晴らしい、
ろくでもない人たちが集まってきて、夜な夜な酒盛りをして、喧嘩もして、
彼女ができたり、別れたり、自分の東京での最初の人間関係はまさに池尻と下北で構築されました。

ドラムがちょうど上手くなって楽しくなってきた頃、自分の中でもやりたい事が揺れ始めていました。
あの時に健太郎からもらった手紙をまだ持っています。
迷った末、僕はアナログフィッシュのドラムを辞めて汎マイム工房に入り、
ヴォードヴィルの世界に入り、今に至ります。

僕の後に入ったドラムが州ちゃん。
ボロキチで叩いていたスーパーカッコイイドラマーでした。

アナログフィッシュ後の時間の方が長いのですが、あの時にあの生活をした事は良かったなと思います。
バンドマンの生活。ライブハウスのノルマは正直きつかったけど、
あの時に晃と健太郎に出会わなかったら、今、孤独に歌を作ることをしていないだろうし、
違う道へ進んだからこそ今の自分があるなと思います。

お祝いメッセージなのに、すっかり自分の思い出話になってしまいました。すいません。
アナログフィッシュ20周年おめでとう。本当におめでとうございます。
今のアナログフィッシュの音楽を聴いても、あの時と同じように刺激を受けて嫉妬します。
ライブ観に行きます。そしてまた、下北で飲もう。

バロン(上の助空五郎)